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逆恨みで村人たちを「皆殺し」…戦国武将・佐竹義宣にまつわる怪談とは?

日本史あやしい話14

 

■佐竹氏が小田氏を滅亡に追いやったのは、「前世の恨み」?

 

 ともあれ、ここからは、その伝承地の一つ、茨城県土浦市やかすみがうら市、東海村などに伝わる「子育て幽霊」について見ていくことにしたい。ここでは、他地域と一線を画す、興味深いお話へと姿を変えているからである。

 

 助けられた赤子は、戦火によって焼失していた村松山虚空蔵堂を再建した名僧になったという。産まれた時から髪の毛が真っ白だったというところから、「頭白上人」と呼ばれたとか。その僧が、母を供養するために五輪塔を建立。

 

 7日間の供養を終えて村人たちに説法をしていた時のこと。鷹狩りの途上に通りかかった小田城主一行が、村人たちを蹴散らすという無礼な振る舞いをしたというのだ。上人が武人たちを諭すかのように、叱咤したという。

 

 ところが、これに武人たちが逆恨み。なんと集まっていた村人たちを斬りつけ、あろうことか皆殺しにしてしまったというからおぞましい。上人は悲嘆にくれ、憎悪の念を抱いたまま死んだとも。死に際して「武士に生まれ変わって小田氏を滅ぼしてやる!」と息巻いたというのだ。

 

 それから数年後のこと、常陸の国に勢威を張っていた佐竹義重に長男が産まれた。名を義宣という。実はこの子が、先の頭白上人の生まれ変わりで、父の後を継いだ後、小田氏を滅ぼして常陸国を平定したと、まことしやかに言い伝えられているのである。

 

 それがどこまで史実を盛り込んだものなのかは確定し難いが、少なくとも佐竹氏が小田氏の滅亡に加担したことだけは事実のようである。あらためて、当時の佐竹氏と小田氏の抗争について目を向けてみることにしたい。

 

■史実としての佐竹氏と小田氏の抗争とは?

 

 まずは、ここに登場する佐竹義重なる人物から紐解いてみよう。関東の覇権を巡って北条氏と争い続けてきた人物で、越後の上杉謙信と力を合わせて小田城の戦いなどにおいて、小田城主・小田氏治を敗走させたことで知られている。

 

 その後の手這坂の戦いでも氏治に快勝。小田城奪取を成し遂げた。豊臣政権下においては、常陸国54万石を安堵された戦国大名となっていた。その子・義宣が、豊臣政権下では六大将の一人に数えられるほどの名将となったことも、よく知られるところだろう。

 

 一方、小田氏といえば、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」において、市原隼人氏が演じた八田知家を始祖とする氏族である。知家から数えて15代目が、小田氏治である。この御仁、佐竹氏の激しい攻防に晒された挙句、秀吉に所領を奪われて没落の憂き目に遭っている。大名家としての小田氏は、事実上、氏治の代で崩壊したのである。

 

 となると、小田氏が滅んだのが氏治の代であったことは間違いないが、その滅亡に加担したのは、前述の物語に登場した頭白上人の生まれ変わりの佐竹義宣ではなく、その父・義重の働きによるものだったということか。

 

 とまあこの辺り、多少齟齬があるものの、およそのところは、史実といっても差し支えないというべきだろう。伝承とはこのように、一部史実を盛り込むことが多いゆえ、侮ることができないのだ。

 

 それにしても、ここでは、かの母の慈愛に満ちた心温まるお話が、いつの間にか戦国大名の殺伐とした合戦物語に組み込まれている。慈しむべき母の愛が、憎悪の末の仇討ちのような形になってしまった。こればかりは、残念というほかない。子を産んだ幽霊も、こんなはずじゃなかったのにと、草葉の陰で泣いているような気がしてならないのだ。

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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